出会いは一期一会

 

 

まっだまだ自分の世界は狭いなあ~

 

 

 

ごめんな、こうたろう。今日の投稿は自分の戒めのための内容になって読んでもつまらないかもしれん!

 

 

 

ハコをもって、明確なビジョンをもって、知恵や人とのつながりを手に入れて、どんどん新しいことにチャレンジしている人は、本当に輝いていてまぶしかった。

 

自分の明確なビジョンを成功するためには、いろんな逆境にも挑戦していくし、いろんな困難でもものともしない。

「言うのは簡単だけど、できないじゃん」と思ってしまうような大人をたくさん見てきて、「できないんだから、そんなきれいごと(人付き合いが大切だから、嫌な人とでも、友好な関係を築こうぜ)はやめてしまって、いっそ好きな人と同士で集まって、大きな大きなコミュニティを作ってしまえば、それで戦えると思っていた。

「できないじゃん」と思っていたのは、私の周りには今まで起業家やなにか事業で成功した人とかいなかったし、そもそも自分がそんなところに興味をもったり人を求めたりしたことはなかったので、”本物”を見たことがなかった。

 

 

でも、いたんだこういう人が。自分の我を通すことだけでなく、様々な困難に真剣に熱意をもって、時には自分の都合を犠牲にして目標のために手段を選ばない人。いろいろ表現がへたくそですが、今日はいいや。思ったことをとにかく書く。

 

読んでいてもつまらない文章を、今日だけは自分のために書きます。

 

 

 

言葉だけで地域貢献だ改革だと言っていても、それを世間が求めていなければそこに人は集まらないし価値は生まれない。

でも自分の得意分野とか、使命感をもってやりたいことがある。

 

これをマッチングさせなければ誰にも喜ばれないし、誰にも支援されない。

相手に合わせるということは自分を殺すことだったり、嘘をつくことだったり。そういうことも入ってくる。

自分がやりたいということが1番に大事なことで、それに情熱を持てなければ絶対に困難なんか乗り越えられないと思うし、結果なんて出ないと思う。

(モノを無くしたり…今日もバックを置き忘れたりして取り行ったり…)これだけニューヨークでヘマをかまして、多くの人に迷惑をかけ、しょっちゅう、自分がここにいる意味や自分自身に価値があるのか悩んでいても、それでもまだまだここにいて学びたいと思えるのは、やっぱり自分がやりたいことがあるからで、ここにそれを学べる環境があるからで、そこから逃げることは考えられないからである。

 

嘘をつくとこや自分をその場で殺すことは、その情熱に水を注ぐこと。

 

私は、私の情熱を厚い殻で覆っています。誰からも水をかけられないように。

 

 

でもそれは違うんだと、考えさせられました。

 

 

「出会いは一期一会やから」

たくさんの人と出会い、話し、一緒に仕事をして、つながりが点と点が線になってつながっていったとき、”あの”話の通じないお役目”も”あの口うるさいおっさん”も、みんな繋がってくる。

自分が嫌だと思っていて敬遠していものも、あとになってその価値に気づく。

自分の熱意に水を注がれることもあるかもしれないけれど、自力で火を燃やし続ければ、次にその人が持ってきたバケツの中身が水だと思ったらオイルかもれない。

 

 

そんな生き方をしている人がちゃんといることを知って、少し世の中を知れた気がしました。

 

 

バッグ持ちを交代させられたとき、自分の評価を痛感しました。

しかしそれは自分も分かっていることなので、ショックをそこでいちいち受けている場合ではなくて、改めて自分の役割を考えるわけです。

でもそこに大きな揺らぎが生じているわけです。

でも揺らいだところで、得手不得手はなかなか人は変わるものではないので、だったら持っているもので勝負するしかないのです。

でも、「でも」が2回も続いている時点で自分なりに何かに引っかかっている感があるわけで。

 

 

今、アメリカにいながらでも、日本の人たちと話をどんどんしていかなくてはならないと思いました。

 

 

本当に本気になって今すでに現場で戦っている人たちからすると、私たちの考えていることはお遊びのようで、このブログもお遊びのようでしたと思いました。(日本語変?)

それは、決して”中身”ではなくて「実績」という大きな壁。

 

でも同時に、絶対に自分が今見立てているビジョンは間違っていないし、それを実現させるための具体的に何をやればいいかも考え至っているし、方向性には確信を持てるとも思った。

確信を持てるのは決して「あの人と同じ考えだったから」ではなくて、相手と自分の現状にどれだけ差があっても”相手に自分の意見をぶつけられること”。

 

方向性も、絶対に面白いものを作れる。

 

誰が作るか。誰でもいいけど、誰もいなければ、自分がやるしかない。面白いんだから。

遊園地がこの世になくて、金がかかるから大変だと誰もやらなかったら、誰でも私がやりますってなるでしょ?

 

ベースボールアカデミーを受け皿にした、学校部活動や地域クラブと連携した野球環境をつくる。

 

それがマネタイズ化されて、町のコミュニティになって、子どもたちのスポーツ経験の場になって、新たな雇用になって、外国との交流になって、教育そのものになっていく。

 

 

どれだけたくさんの人・モノを巻き込んでいったらいいのだろう。。

 

現実は、長く険しい。

私の”道”にも、林が生い茂ってきたようだ。

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中