先日は、先々日足を運んだ『福島復興プロジェクト』の一環で高校生がニューヨークへ来て福島のプレゼンをおこなったイベントで、知り合った方とお昼ご飯を食べてきました。
In “Ikinari steak”
お相手はたけださんという方で、お年は65歳くらいとお聞きした。
これがまたとても65には見えないし、短い時間でしたが話は面白いし、私の話にも耳を傾けてくれるし、すごくポジティブに返してくれるし、つくづく、すごい人ってたくさんいるんだなーと思わされた。
数年前の自分は、大人を目の敵にしていたから。(笑)
起業の話などを考え出すと、それについて助言してくださる方は年上の人がもちろん多くて、おじさまたちと関わる機会も大変増えました。
『経験から学ぶは2流。1流は歴史から学ぶ』といいます。ひとりの人がたどった道を聞き、そこから学ぶことができれば、自分に生かすことができる。受動的なことはしょうがないにしても、主体的に何かを「経験する」ということは、「時間を使う」ことなので、”何に時間を使うか”は結構ちゃんと考えなければならない。
雑な言い方をすれば、自分が経験しなくても済むことは、人から聞いた方が絶対にいい。
仕事をクリエイトする人々
ドミニカでの毎晩の反省会(?)で、阪長さんから「これからの教育で子どもに教えていかなければならないことは何か」という問いがあった。
我々20代3人衆(あ、ひとりは10代)は撃沈したわけだが、少なくても言えることは、「今まで通り」では上手くいかないということだと思う。
※答えのない問いに、見合う一同(左から25歳、24歳、19歳)笑
アメリカに来てたくさんの人とお話して驚いているのは、みんなとてもクリエイティブだということ。
50代の人たちが夕方6時からお酒を飲み交わしながらつまみの話題は「これからどのように仕事を展開していこうか」。これで6時から12時過ぎまであっという間に語り明かした。
クリエイティブ側の人間として(?)偉そうに私も加わっていろいろ話しましたが、純粋に私は、その空間にいることが楽しくて仕方がありませんでした。
もちろん日本にもそんなひとたちはたくさんいるのだと思うのですが、少なくとも私の周りには、そんなにいなかった。
ましてや自分の親世代の彼らが、真剣に『自分の人生』と向き合って、明日からの新しい”何か”を求めて、あーだこーだ言っている姿はとても新鮮で、感銘をうけた。
自分を含め、これからを生きる人たちに必要なのは、「自分の人生を自分で構築する力」だと思う。
幸せも生き方も人それぞれで、これだけ”多様化な人生が実現しまくる世界”においては、誰かに自分の人生(の一部)を決められることは、マイナスにもなりかねない。
いつか必ず出会う、自分にとって大事なものをしっかり手にするためには、早いうちから「自分の人生を自分の力で手に入れる力」を養うことが大切だと思う。
私は、ある校長先生(厳密には元校長・O村先生)に、いろんなところに連れていかれ、いろんな人と出会い、いろんな仕事の人、すなわち「自分のやりたいことを自分で手に入れている人」を目の当たりにして、少しずつ開眼(?)した。
ダブルダッチで世界を回るひとたち
娘の美容室の隣にカフェ開いちゃうお母さん
亡くなった夫のアトリエを開放して絵を展示したりいろんな教室開いちゃったりするマダム
ニカラグアに飛び出しちゃう人(笑)
畑と田んぼとおにぎり作りに飛び出しちゃう人(笑笑)
福島にも(福島以外も)これだけ面白い人がたくさんいるんだと学びながら、「野球を教えるなら学校の先生になるしかない」と思っていた自分の考えは、どんどん広がっていった。
あとはもうやることは決まった。
学ぶこと(=自分の価値を高める)
と
提供する場をつくること(=稼ぐ)
それには学校の先生は適していないので、早かれ遅かれ現職は離れることになるだろうと思った。
今はその選択が間違っていなかったと思っている。これからアカデミー創設が成功するかどうか、野球界に価値を生み出せるかどうかという「まだまだこれから」感はあるけれど、いやもしそれが失敗したとしても、自分の人生においてこの時間を後悔することはないだろう。
つくりたいのは野球の選択肢
みんながクリエイティブである必要はないけれど、少なくとも「労働の対価(収入とか時間の価値)のために自分の人生を犠牲にしないでほしい」ということを思う。
収入のために毎日ストレスを抱えるのは、本当得策じゃない。周りにいる人たちみんなが不幸せになる。
なんでこんな話?っていうと、私がアカデミーで大切にしたいのこそ「個人力」であるから。
「個人力」がこれからの社会を支えていく力、はたまた自分の人生を幸せにする力になると思っているから、アカデミーはそこにフォーカスする。
「個人力」を磨くためには、これはアメリカに来てこそ学んだことだが、”選択肢の豊富さ”が大事だ。
仕事もそうだしスポーツ環境もそうだが、選択肢がなければ人は動けない。辞めるにも、自己主張をするにも、「駄目だったらこれ、次はこれ」がないと人は行動に移せない。今、チーム依存・部活動依存が強い日本のスポーツ界だからこそ、その選択肢の裾野が必要だと思った。
だから学校と連携する!
連携したうえで、練習委託、ゲーム委託をアカデミーが少し請け負っていく。
選手は「ちょっとバッティングの調子が悪いから打ち込むならアカデミーに行こう」と選択する。
またあるときは「今は1年生で試合に出られないけどアカデミーのゲームなら全員出れるから、土曜はアカデミーのゲームに行こう」という。
またあるときは「うちの野球部は厳しそうで入れないけどアカデミーなら、甲子園は目指せないけど、好きな野球を続けられる」という。
この選択肢を、本当にフラットに選手ができるようになるかは私の信頼性も大きくかかわってくる。
近い将来のうちに、本当にフラットに選手が部活動のコーチに「今日は外、行ってきます」と言えるようになったら面白い。
つくりたいのは、チームでも、リーグ戦でも、個人レッスンでも、コーチングの場でもなくて、
”選手の選択肢”
「何かの対価のために自分の人生を犠牲にしてはいけない」そんな時代に、アカデミーに救われる選手がひとりでも増えれば、野球のみらいのためになると本気で思ってます。