英語が上達しない君(僕)へ
〜大事なのは英語が喋れるかどうかじゃない‼︎
語学力が決定的にない…。
私が通っている学校は20段階くらいクラスレベルがあります。
結構ひとりひとりの都合で自分でレベル(クラス)を決められちゃうので、みんなの英語力はバラバラだったりする。
そのクラスで6週間過経つと、昇級試験がやってきて、それをクリアするたびにひとつレベルが上がる。
私はまだ留年(?)したことはないからだいたい出来ていればパスできるのかもしれないけど、中にはアップしないで元のクラスに留まっている人もいるので、落第したのか、自分でもう1回そのクラスを受けることにしたのだと思う。
ちょっとシビアだけど、頑張っている人には先生も一生懸命教えてくれるし、逆に言うと頑張らないと置いてかれるだけから(誰も助けてはくれない)、丁度良く焦りながら毎日やってます。笑
“学ぶ”ということの本質を何か感じながら、この歳で、学校、通ってます。
英語学校に通う、何よりのモチベーションは、”友達”です。
こんなに英語が喋れなくても、彼らとコミュニーケーションを取ることは可能だし、同じ話題に同じ感性で笑って過ごすことができる。
そこにすごく楽しみを見出して、毎日過ごせてます。
人の性格や人間性なんてなかなか変わらないと思っていたけれど、人の性格なんて簡単に変わる!
陰気な自分が、今や人前でペンパイナッポーアッポーペン踊れる。
※PPAPで発狂する女性陣たち。笑(これ本当に)
“意志”で性格を変えるのは難しいけど、”環境”によって人はいくらでも変わるような気がしてきた。
さて、得意の「できない自分を正当化する」のお時間ですが、このグローバルな時代に大事なのは“英語が喋れるかどうか”ではなくて、「何を」喋ることがあるかだと思うのです。
日本人と日本語で話していても、なかなか言葉が出てこない人がいるように、多言語が喋れるのは良いスキルでも肝心の喋ることが無ければ意味がない。
ここには、現地の日本人(や日系人)が日本教育を受けるための学校が土曜日にあって、そこに通う500人はもれなくネイティブスピーカーだ。
でもじゃあ彼らが日本に帰ったら他の人より優秀かと言うと、(英語がネイティブという優位性はあっても)必ずしも優れた仕事ができるとは限らない。
あまのじゃくな私は、その「ネイティブ軍団」を見たときに、「こんなに喋れる人いるんだから必死こいて6ヶ月英語勉強してもあんまり価値ならないじゃん。。俺が最もフォーカスすべきはそこじゃないな!」という意志が生まれた。
でも今でも楽しいから勉強している。
クラスメイトとちょっとでもより円滑にコミュニーケーション取りたいし、街中を歩いてて陽気に話すピーポー達が何で盛り上がっているのかすごく興味あるし、テレビの野球解説をちゃんと聞きたいから、英語を勉強し続けてているけど、目的はそんなところ。
自分の話をみんなが聞いてくれたりして、こうしてみんなが野球を(教室で)してくれたりすることが、何より面白いことだ。
野球という価値が自分にはあって良かったなって本当に思うし、それを恥じず恐れず(クラスメイトたちはほとんど野球知らない人たちも多いけど)「I love baseball!」を言い続けてきて良かったなって思う時が、こうしてたまにある。
ティーチャーに「夢について語って」と言われたら(野球抜きでも)いくらでも語れるし、自分の友達を紹介しようと思ったらいくらでも語れる。
いつもはつっかえつっかえの発表も、自分が得意の分野だったらこうも饒舌になるかってくらい、言葉がよく出てくる。これは日本語て英語でも変わらないんだなーって思う。
だから余計に、語学を勉強するなら、合わせて自分の得意分野を持つ必要があるなって、思いました。
あくまで通訳とかそういうのになりたい訳じゃないからね。
漫画のワンピースは、英語で読んでもそりゃ面白いので、英語でワンピース読んでしばらくホームワークに勤しみます。