こう見えても、3月まで高校の教員をやっていました。もう、面影がありません。だいぶ爽やかさがなくなりました。
大学を卒業したあとの1年間は、小学校の「体育専門アドバイザー」という名前で各学校を訪問するという無茶振り事業を、大卒したての人間が、初代アドバイザーとして全うしました。
次の年から高校の教員として2年間、野球部の顧問もやりながら働きました。
『高校の先生になって野球を教える』は小学生の時からの夢でした。野球を始めたときから、夢は「監督になること」でした。自分がプレーすることよりも、戦術・チーム作り・マネジメント(当時の自分にそんな難しい言葉はないけど)に興味がありました。
パワプロで自分で作った個性的な選手をチーム分けして、”自動で”リーグ戦を消化してどこが優勝するか、というストーリーを見るのが至福の遊び。
教員になって「先生としての仕事」と「野球の指導」がやれたときに感じたのは、『組織の中では決して自分の自由は叶わない』という感覚でした。
自由とは何かって難しいけどね、少なくとも「教育」という人と人とが付き合う中では、”正直さ”が1番人の心を動かす要素だと思ってて、ルールに縛られれば縛られるほど”正直さ”は削られていくような気がしてた。「”ルールは守らなけれはならない”しか教えてはならない」のが学校の先生てまあるなら(特に若ければ若いほどその縛りは強くなりやすい)、自分の正直な想い(ルールより自分の方が大事じゃね⁉︎と思う派です)を大事にしたいなら、この仕事は続けられないと思った。
やっと夢の仕事に就けたと思ったら、2年間過ごして感じたのは生まれて初めての”衰退”でした。
「自分のやりたいことやらにゃいかん!」と思いました。そして自分のやりたいことができない世の中(環境)なら”やりたいことができる環境作り”をするべきだと思いました。
私の場合は結果的にそれの第1歩が”渡米“でした。
自分なりに動いてみた1年
自分のやりたいことやるだけならなんでもいいですが、やるからにはそれで食っていきたいし、生きた証も残したいし、世の中の役に立つことであってほしい。
“幸せ”は「社会」との相互関係の間にどうしたって成り立つので、自分が幸せになりたいと思ったら、同時に自分のなかのどこかで「これが世の中の役に立っている」と思えることの方をした方がいい。
「自分の好きなことを”世の中のため”にしていくために行動する」
ここにいろんなハードルがあるし、イチから作ろうと思ったらまあ大変なんだろうけど、もうやるしかないよね。だって「やりたいことで生きていく」方法がひとつしかないんだもん。
今掲げているのは「既存チーム(部活動など)とアカデミー(外部)が連携して選手を育てる」環境作り。
それには、まずその旗を掲げる自分の価値が必要で、その次に応援や協力してくれる仲間が必要。
もう行動しかないですよね。
まず『自分の価値』
それを作るのが4月から半年間の”渡米”でした。
ブログで発信した記事160本。YouTube30本。Facebookは友達が400人から1000人に増えました。
数値はあくまで「見た目」だけのものですが、そのブログ1本1本を本気で書いたし、友達申請の1人1人が重要なコミュになった。(変な釣り方も釣られ方もしてない)
結果、私が帰国するときに「友達増えたから面白いんじゃね?」という浅はかな気持ちで立ち上げた『帰国報告会』は、自分で言うのもなんですが、毎日超充実しています!!
全てが「はじめまして」からはじまり、サヨナラの時にはまた来る約束をして終わります。
ということで年越して2周目を行います。
それが「仲間」となり、アカデミーを作り上げるうえで「戦力」となってくれるのかはわかりませんが、少なくとも行動する前に私の手元には無かったもの(1歩踏み出さなければ一生手に入らなかったもの)を今手にしています。
2回目、3回目と続けていく中でこの関係がどう変化していくかは分かりませんが、まあ楽しんでみたいと思います。
今日から新潟。
もうすぐ激動った1年が終わるんですね。
「激動る」の読み方わかんないよ。
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