努力
という言葉は日本人のこれまでの成長を支えてきました。
小学生のとき所属していたソフトボールの監督から卒業のときにもらった色紙には『人間が報いられるのは努力によってだけ』と書いてありました。
うちの監督は練習中に「水飲むなー!」「しょんべんしないで汗で出せー!」と言う、当時でも絶滅危惧の監督でした。
そんな監督自身が誰よりも練習中に汗を流して、終わりのミーティングの時には野球帽のツバが汗でにじみ、さらに帽子の先っぽから汗の雫が滴り落ちる姿に、私たちは信頼感を持って接していました。
■そんな話がしたいわけじゃなくて…
“好きなことを仕事にして生きていく”というと、「そんなに甘くない」と人に言われます。
“好きなことをする”=”ラクをしている”だと思われているからです。
私は教員の仕事もなりたいと思ってなりました。小学2年生の野球を始めた時からの夢でした。教員になってみてから、意外と自分の好きな仕事ばかりじゃないことに気づきました。
そこで仕事をしているうちに明確に気付いたことが「努力できるものと努力できないものがある」ということでした。
「努力することこそ”正義”」と思っていた高校現役時代。練習についてこれない仲間に喝を入れまくっていた副キャプテンあの頃の私。彼らには彼らの”努力できない(したくない)背景”があるのです。
■そんな話がしたいわけでもなくて…
「努力」する方向性が、昔と今とでは変わりました。
昔は、”何かに耐える力”を身につけるために「努力」はするものだと思っていた。厳しい練習をこなせたのは、負けた悔しさからというのが多かった。
今は決まって何かに没頭できるときは、”その活動に価値を見出している時“です。それが、「自分のしたいことを仕事にするための活動」をしている瞬間です。
YouTuberもインスタグラマーもお小遣いサイト主婦もみんな、そんな瞬間に価値を見出して、誰もできない努力をしているから、”自分の居場所”を作れるんだと思っている。
■大きくて遠い”第一歩”を!
そんな私は今、自分の活動を仕事にすべく、さらなる土壌作りとして『コミュ二ティ作り』に励んでいます。(この場をお借りして、いろいろパイプ役になってくださっている方々…特に林くん!ありがとうございます。)
ここでいう「コミュ二ティ」には、野球選手(子どもから大人まで)、指導者、保護者、トレーナーなどのサポート役の人たちなどが入ってきて、そんな皆でリアルに繋がるコミュ二ティを作って「何かやろう!」となった時に動ける仲間を作りたい。それがT-academy創設の第一歩です。…大きくて遠い”第一歩”。。
で、そのコミュ二ティにはさらに野球に関係ない人が入ってきた方が強くなる。
「これから子どもに野球やらせたいと思ってるけど実際どうなの??」って思っている親とか、「こんな仕事をしているんだけどこれって野球の現場にも活かせない??」っていうエンジニアとか、なんでもいいから集まっちゃえ!
■今月もたくさん動きます
2月は、16日は仙台で報告会を開催!こちら案内はなくて参加者は締め切り済み。
23日は福島で発足する『福島平成野球アカデミー(仮)』の会。同年代(線引き曖昧!)の野球指導者、野球に携わる人たちが集まって意見会(呑み会)!
3月はちょっといっぱい入ってきてありがたいと同時にバイトのシフトが心配という面倒臭い私。
こんな時代だから2兎も3兎もいっぺんに追って仲間の力借りて仲間増やしていろいろやっちゃえ!!!